《ヌフ松森医院》

松森医院再生プロジエクト

《 淡河松森家 》2024/3/11更新

淡河町野瀬の松森医院は、江戸時代に丹波篠山の殿様に使える医師でしたが、明治維新により初代松森正徳医師は、明治7年に産婦人科の医師として上淡河に入られました。その後、野瀬の有力者前田熊一氏が小学校の開設にあたり呼応されて、4代目校長にもなられています。他の兄弟も三木の志染にて開業されました。今も三木志染には松森前とのバス停が残ります。

明治から昭和の中期まで、松森家が三代に渡り淡河町で地域医療の拠点として、住民の暮らし教育、健康を支えてきました。四代目は正之さんが三木松森家から来られて、2代目正純の長女と結婚し、優秀な方で若くして神戸大学医学部の助教授になり、3代院長が他界後には跡を継がれる予定でした。その正之医師も不幸にして50歳前後にして他界され、淡河の松森医院は再開されることなく40年近い年月を経ました。鈴蘭台の旧松森病院は3代正美医師の弟の正顕さんが開設されたものです。

閉院後は、空き家となっていましたが、38年の時をへて2021年に「野瀬、里づくり拠点施設」として再生、旧医院棟から新たに「ヌフ松森医院」として再開します。全体には450坪の敷地には医院棟をはじめ、100年近くの時を経た堂々たる構えの母屋・藏・庭園等が広がり、順次整備がすすめられています。

私たちは、令和5年より、松森医院の(古民家)本院棟修理を再開しました、R6年の2期工事修理完了を目指します。松森家の歴史や功績を評価、尊重し次世代に繋げたいと考えます。

尚、R6.2 月に「神戸市歴史遺産」として認定を受けました。今後に母屋棟の公開や利用開始時には、松森医院について一部資料を展示を検討いたします。

2期 旧松森醫院棟 修理再生工事 R5,12~R6.5月(予定) 

○建築設計/管理 才本建築事務所(丹波篠山市)

○建築工事 ログ工房ノトキー(淡河町)

オーナー / 代表理事 種は泳ぐ[食と里の繋がり] 取材HP

淡河松森医院跡みらい会議

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