松森医院の再生と活用
《 淡河松森家 》2025/2/20更新
ABOUT
私たちはこの場所で、地域社会、人と繋がり、寄り添います。新しい発見は新しい感情を引き出します。単に食事や商品販売を提供する場でなく、空間・展示を通して受け継いだメッセージを伝え、都市、地域、人、モノ、コトを繋ぐ架け橋としてありたい。松森家にも敬意の気持ちを持ってまいります。ヌフ松森医院やDr松森ラウンジを訪れる人々と共に、様々な経験を通じて私たちは、これからの時代に求められる、里山再生を創造していきたいと思います。
淡河町野瀬の松森医院は、江戸時代に丹波篠山の侍でしたが、明治維新により初代松森正徳医師は、明治7年に産婦人科の医師として上淡河に入られました。その後、野瀬の有力者前田熊一氏が小学校の開設にあたり呼応されて、4代目校長にもなられています。その後、正徳の長男が三木の志染にて開業し、今も三木志染には松森前とのバス停が残ります。昭和3年に松森医院本院棟が建築されます。
明治から昭和の中期まで、松森家が三代に渡り淡河町で地域医療の拠点として、住民の暮らし教育、健康を支えてきました。四代目は正之さんが三木松森家から来られて、2代目正純の長女と結婚します、優秀な方で若くして神戸大学医学部の助教授になり、3代院長が他界後には跡を継がれる予定でした。その正之医師は不幸にして50歳前後にして他界され、淡河の松森医院は再開されることなく43年を超えっる年月を経ました。鈴蘭台の旧松森病院(現すずらん病院)は3代正美医師の弟の正顕さんが開設されたものです。
閉院後は、空き家となっていましたが、長い時をへて2021年に「野瀬、里づくり拠点施設」として再生、新医院棟から新たに「ヌフ松森医院」として再開します。全体には500坪の敷地には旧本院棟をはじめ、100年近くの時を経た堂々たる構えの母屋・藏・庭園等が広がり、順次整備がすすめられています。
私たちは、令和5年より、松森医院の(古民家)本院棟修理を再開し、R6年の2期工事修理完了しました。今後も修理工事は、R7旧本院正面・R6~7にRC棟1F・R6~7牛小屋棟・R6松森池・R7外構・など、ゆるやかに継続してまいります。Pには建築廃材がおかれれいますがご理解ください。
新たに、Dr.MATUMORI LOUNGE( 旧松森医院本院棟 )として名前つけて、松森家の歴史や功績に敬意を表します。淡河町の活性化拠点の一つとして次世代に繋げたいと考えます。(未OPENです)
尚、R6.2 月に「神戸市歴史遺産」として認定を受けました。現在も営業施設としては未開設ですが、今後、随時に母屋棟の公開や利用開始時には、松森医院について一部資料を展示を検討いたします。
2期 旧松森醫院棟 修理再生工事 R5,12~R6.5月(完了)
○建築設計/管理 才本建築事務所(丹波篠山市)
○建築工事 ログ工房ノトキー(淡河町)
オーナー / 代表理事 種は泳ぐ[食と里の繋がり] 取材HP
淡河松森医院跡みらい会議